試練
なんとなく、テンションが低いまま、それでもメールの文面では
なるべく悟られないように明るく装ったつもりだったけれど、
犀川君は敏感に何かを感じ取って不安になっていたらしい。
私の方はすっかり疲れてしまって、昼すぎまで寝ていて
目覚めたら、早朝に犀川君がおはようメールをくれていた事に気づき
おはようとはとても言えない時間に、おはようメールの返事を送った。
すると、すぐさま犀川君から返事がやってきて、
「よかった、寝てただけなんだ」と安堵した様子だった。
「どうしたの?」と言うと、「ずっと返事がなかったから、
何かあったのか、嫌われたのか、どっちかと思って心配した」と言う。
仕事だと言っていたのを思い出し、「仕事がんばってね」と書いて
送ると、「ありがとう。これで安心して出かけられる」と返事がきた。
私の方は、今日はあまり考えすぎず、ぼうっと過ごそうと決め込んで
そのままメールには返事を出さず、家で本を読んで過ごしていた。
すると、1時間ほどしてから、犀川君からメールが来て、
「結局、仕事に行かずに茫然としてしまいました…」と言う。
どうしたのかな、と思いつつ、「では、ゆっくり休んで下さい」と
返したら、「僕、嫌われましたかね? 何かあれば言ってくれると
嬉しいんですけど」と返ってきた。きっと私の返事がそっけないと
感じて不安になったのだろう。メールのやりとりだけだと、
どうしたってこうやって不安になる。だけど、それを望んだのは
君なんじゃないか?…と思わずにはいられない。
どうやって返事をしようかと迷っていたら、時間だけが流れていった。
するとまたしばらくしてから、犀川君から長文メールがきた。
要は、どうやら私が気分を害してしまったようだというのは
分かるけど、その理由が明確に分からない。だから、その理由を
聞きたいというのと、私の気持ちが覚めてしまったのではないかと
とても不安だけど、僕の気持ちは一向に変わらないというのを
とにかく伝えたい、ということだった。
一所懸命な気持ちが伝わってきたので、私も正直に不満をぶつける
ことにした。
私が時々、不安定になる理由として、一つだけ犀川君の事で理解に
苦しんでいるところがあります。
犀川君が現在、仕事がとても忙しいこと、そして犀川君にとって
一人の時間がとても重要であること、これらについて私は理解し
ているつもりです。でも、平日にそんなに時間がとれないならば
たとえば今日みたいに、休日にぽっかり空いた時間ができれば、
それを調整して二人の時間を作るというのが普通だと思うんだけど
犀川君は、それをしないよね。それでいて、時間がないけど会いた
いと言う。ん?って私には思えてしまう。本当に会いたいの?って。
それとも休日に会うのは負担かな?
犀川君はメールで甘い言葉を掛け合っていれば満足かもしれないけど
私はそれではやっぱり不満です。言葉だけだと実体を感じられず
相手の体温を感じてないと私は不安になります。だから、私なら
時間を作る。でも、それは私の考えであって、押し付けるつもりは
ないです。とはいえ、この考え方の相違について、私が今、躊躇っ
ているというのは事実です。だからといって、この躊躇いが、
嫌いになったということを意味しているわけではないのだけれど…。
犀川君は、すぐに「そう言われたからという訳じゃないけど、
明日、もし時間があれば会ってくれませんか?」とメールを寄越した。
嬉しかったけど、なんだか、無理矢理、誘導したみたいで、気持ちの
座りが悪い。それに、今度ここで、犀川君に無理をさせたら、単に
無理をする立場が入れ替わるだけで、意味がない。会うならば、
犀川君が私の気持ちに、少しでも共感してくれていないとダメだ。
「明日会いたいから言ったんじゃないよ。犀川君の考え方について
聞きたかったから言ったんだよ」と返した。
「会いたいというのは、いつでも本当です。負担でもないです。
言い辛かったと思いますが、言ってくれて本当に嬉しい」と犀川君。
「それはよかったです」と返すと、とにかく会いたいと返ってきた。
無理にいいと何度も断ったが、どうしてもと粘る犀川君。
すぐに「そうですか」と引き下がると思ったのに、今回ばかりは
私がうんと言うまで絶対に引かないぞ、という決意が感じられた。
正直、あまり気が進まなかった。なんだか照れ臭いのもあった。
でも、ここであまり意地を張っているのも、大人げない。
最後は根負けする形で、「じゃあ、何時にどこに行けばいい?」と
聞くと、「よかった。じゃあ、海を見に行きましょう」となり、
翌日、海に近い駅の改札口で朝10時に待ち合わせた。
翌日、やっぱり気持ちはいまひとつ乗っておらず、
気まずいな〜と思いながら約束の場所へ向かった。
一足早く来ていた犀川君が、改札のところで待っており、
気づいて目が合うと、笑いながら手を振っていた。
見れば、髪を切って、少年のようになっていた。
「髪切ったんだ、かわいいね」と言うと、照れ笑いしていた。
その顔を見たら、何だかわだかりまりが、一気に消えた。
一方、犀川君はしばらく不安げに私の顔を何度も覗き込み、
「どうしたの?」と声を掛けると、何でもないと言って笑った。
海へ行って、二人で岩場に腰をかけて、手をつなぎながら
ぼうっとしていると、犀川君が「安心したら眠くなった」と
ぼそりと言った。「何に安心したの?」と聞くと、
「ミサトさん、笑っててよかったなと思って」と言うので
「なんだそりゃ」と笑うと、「昨日、すごく心配でさ」と言う。
「仕事に行こうと思って、仕事の格好してさ、家の鍵かけたんだ。
でも、どうしても気力がわかなくて。ミサトさんからのメールが
気になっちゃって、何も手につかなくてさ。ミサトさんのメールは
素っ気ないし、なんか嫌われたのかと思ったら不安で仕方なくて。
ようやく会ってくれると言われても、夜、心配で寝れなかったんだ」
力なく笑う犀川君が、とっても切なそうな目でこちらを見る。
「そっか、そんなに心配だったんだ」と言うと、こくりと頷いた。
「だから、今日会えて、本当に嬉しいし、ほっとした」と言って
犀川君が急に抱き締めてきた。ちょっと肌寒かったのであったかい。
「私も会うまで何だか気が引けていたんだけど、顔見たら消えた。
やっぱり、こうやって会って、体温感じた方が早いと思わない?」
そう聞くと、犀川君は「うん、思う」と言ってキスをしてきた。
不器用で、奥手の犀川君にしたら上出来だ。
犀川君は夕方に用事があるというので、昼すぎに駅に向かった。
駅のベンチで手をつないでぼやっとしていたら、犀川君が
「また来週会おうっか」と笑った。「いいよ、そんな無理しないで」
そう答えると、「無理じゃないよ。会いたいんだよ」と言う。
「ミサトさんが言ってくれたおかげで、なんか吹っ切れた」と
犀川君は言う。本当に無理をさせていないのだろうか。
ちょっと心配にはなるけれど、自分勝手な私は嬉しさが勝ってしまう。
犀川君は帰り際、海にお茶のペットボトルを置き忘れた事に気づいて
自分で驚いていた。「僕、忘れ物ってほとんどしたことないのに
ショックだなあ」と笑う。「海で何してたんですか?」と笑うと
「つい、我を忘れていたんでしょう」と犀川君も笑う。
「我を忘れるほど何をしてたんですか?」とさらに突っ込むと
「キスですよー!」とまたもや脇腹をくすぐられた。
これだけ戯れ合えるならば、もう大丈夫だ、多分、しばらくは。
別れた後に、「これでまた二人の距離が近くなった気がする」と
メールすると、「僕もそう思う。言ってくれてよかった」と
犀川君から返事がきた。
素直になるのは難しい。本音をどこまでぶつけていいものか
毎度躊躇ってしまう。でも、これまで本音をぶつけず我慢して
いい結果に結びついたことは皆無だ。今回は極力素直になろうと
決意したのだから…そう思っても、今回だって言うまでに多少の
時間を要してしまったし、言うまでの間、私の情緒は乱れ、その
影響で犀川君まで極度の不安に陥れてしまった。
こうしたことが今後もないとは言えないだろう。
次回も、二人の距離を近づける試練だったと、最後に笑えれば
いいけれど…どうなることやら。
ただ、今回一つのことを発見。
相手が年下だと、思いのほか、私は素直になれるらしい。
そして、相手が年下のほうが、思いのほか、甘えられるらしい。
これは実に驚きの発見だ。私のこれまでの思い込みを見事に
裏切る結果だからだ。いやはや、食わず嫌いはいかんもんだ(笑)


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