犀川君からぱたりとメールが来なくなった。
海の見える駅に行った時に約束していた日がやってきても
朝から何の音沙汰もなかった。
待ち合わせの時間まで2時間となってもメールは来ない。
さすがに不安になってきて、「予定通りですか?」とメールした。
しばらくして、「連絡しなくてすいません」と返ってきて、
予定通りだが、少々遅れてしまうかもしれないから、また連絡するとのこと。
会うことを無理しているのだとしたら、こちらもあまりいい気はしない。
だから「無理しなくていいよ。忙しいなら中止しましょう」と返した。
「延期」とは書かずに、敢えて「中止」という言葉を選んだ。
「延期」には未来が含まれている。
犀川君が一足早く夢から醒めたのならば、「中止」の方がふさわしい。
「中止」には未来の約束など含まれないからだ。
しばらくして返ってきたメールには、「これから忙しくなるから
会えるうちに会っておきたいです」と返ってきた。
なんだか、私のテンションまで下がってきた。
ま、いっか、そこまで言うなら…と半ば投げやりな気分にもなった。
「じゃ、会いますか。時間は気にせずに、来れそうになったら連絡を」と
返して、私は一足早く待ち合わせ場所近くの喫茶店で待つことにした。
喫茶店で本を読むこと1時間。犀川君から「いまから向かいます」と
連絡があった。「いいですか?」と問うので、「いいですよ」と答えた。
それ以外にどんな言葉があったろうか。
約束の時間よりも1時間近く遅れて、犀川君はやってきた。
とても恐縮している。「すいません、どうにも抜けられなくて」と
かなり憔悴しきった様子。「忙しいんだ、今」と聞くと、こっくり頷いた。
そのまま、前回行った店へ行ってみた。
前回はとても混雑していて、カップルシートではなかったけれど
今回は空いていて、念願の(?)カップルシートに通された。
「並んで座れますね」と犀川君がようやく笑った。
醒めてしまったのなら、並んで座っても嬉しくなんてないだろうに。
戸惑ってしまって、私は曖昧に笑って頷いた。
犀川君は珍しく雄弁だった。
仕事のことや自分にとっての鉄道について熱く語ってくれた。
こんな犀川君は実に珍しい。
私はただただ、隣で、ふんふんと頷きながら聞き役に徹した。
ふと、「どんな恋愛をしてきたの?」と聞いてみた。
犀川君は「教えない」と冗談めかして、すねてみせたけれど
すぐに抽象的ながらも話してくれた。
「よく『つまらない?』とか『何考えているか分かんない』と言われました。
そうだろうなと思うけど、努力はしたんだけど、あまり変われなかった。
彼女はよく僕のこの気難しいところを理解してくれてたと思うけど、
それにちゃんと応えられなくて申し訳ないことをしたと今でも思ってます。
こんなんだから、いつも長く続かないんですよ。
いつも相手を楽しませてあげられないんだと思います」
哀しい顔をして、そんな風に話していた。
「幻滅すると思いますよ。というか、もうしてるかな」と苦笑する犀川君。
「僕、ここ何日か、すごくテンションが低いんです。今も低い。
波があって、低い時はどうしようもないんです」とつぶやいていた。
「今もテンションが低い」とは、すごいことを言われたものだ(苦笑)。
目の前にいる私は、なんて反応をするのがよいのか、さっぱり不明だ。
思わず、「今も低いのか」と苦笑いしてしまった。
そんな私の表情を見て、犀川君がはっとなって、「すいません」と謝った。
「ひどいですよね、そんなこと言うなんて。言う必要なかったな。
僕、ここ何日かすごくテンション低くて、ミサトさんに甘えてきたんですよ。
何も言わなくても、許してくれると思って、ずっと甘えてたんです」
へえ。へえ。そういう甘えがあるのかと、不思議に思った。
「普通、もう嫌だって思いますよね…」と犀川君がうつむく。
なんだかおかしくなってきた。決して嘘ではなさそうだからだ。
自分の感情の起伏のままに、素の自分をぶつけていたのだったとしたら
それはそれで、なかなか素敵なことだなと思えてきたからだ。
「あのさ、そういう甘え方があるなんて、私は初めてなんだよ。
すっかり君は、一足早く夢から醒めたのだとばっかり思っていた。
それはそれで仕方ないことだとも思っていた。
もしも今日、約束を守るためだけに、無理をしているのだとしたら
会うこと自体、意味のないことだと思った。なら会わない方がいいと。
もしも、このまま会う機会を失って、このままフェードアウトしても
それはそれで受け止めようと思っていたんだよ。
まさかね、テンションが低いだけとはね…驚きだ、素直に」
「ミサトさんとのことでテンションが低くなったのではないんです」
犀川君はとても哀しい目をして訴える。思わず「分かったよ」と苦笑い。
繊細で複雑な犀川君は、私の知らない世界で私の知らない苦悩を抱えている。
不器用な彼はそれをうまくコントロールできない。
私も似ているところがあるから、気持ちがなんとなく分かるのだ。
犀川君が手を握ってきた。
「今日は冷たいですね」とつぶやく。
「秋だからね」と私。
「落ち着くな」と言いながら、じっと私を見つめてくる。
何だか照れくさくて、「見るな」と言って酒をあおる。
「見つめていたいんですよ」と犀川君は手を強く握ってきた。
結局、店に入ってから殆どの時間、ずっと手をつないでいた。
店を出る時、犀川君の表情はほんの少し晴れやかになったように思う。
駅の改札口で別れを告げると、「今日は会えてよかったです」と
はにかんだ顔をして犀川君が言った。「うん、じゃ!」と背中を向ける。
しばらくして犀川君からお礼メールが来た。
「好きなままですが、いいですか?」という文章で締められていた。
「気が済むまで好きでいてくれたら嬉しいですよ」と返した。
遠い未来なんてどうでもいい。
ずっと未来なんてどうでもいいと思ってきた。
今、ほんの少し近い未来に希望を抱いていたいと思うようになった。
確かに犀川君は気難しい。
ハヤテのように、私を心の底から陽気にはしてくれないだろう。
だけど、犀川君はあったかい。冷たいけどあったかい。
もしかしたら、それを理解し、大きな心で包んであげられるのは
私かもしれないし…。そんな風に今は思い上がっていようと思った。
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